インターネットの急速な普及に伴って、教育界でもインターネットの活用が大きく注目されています。黎明期にはたいへん腰の重かった行政も、90年代終わり頃からは現場の尻を叩くような勢いで政策や事業を推進し始めました。そして、新学習指導要領では中学校の技術・家庭でインターネットのネットサーフィンと電子メールが必修となり、さらにその活用を発展させる「情報」が高校の必修科目になりました。また、「総合的な学習の時間」についても、児童・生徒がコンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を積極的に活用できるようにするとしています。
今、インターネットが学校においても利用できる環境が整いつつある時、教師はその活用方法を考えるだけでなく、教育理念を考え直す機会をも与えられています。このページでは、学校教育においてインターネットを活用する場合に、教師が認識すべきことをまとめてみました。
0.根本的問題 1.古くて新しい学習形態の展開 2.授業で活用するための前提条件 3.英語教育でインターネットを活用する意義 4.英語教育関連組織・企業の役割
0.根本的問題
T:何を学習者は学ぶのか?
インターネットを活用した教育で、教育者としての自分は何を学習者に学ばせようとしているのか。それまでの自分の教育と何が変わって、何が変わっていないのか?常に教師は省察し、これらに対して明確な解答を用意できないといけないでしょう。
「「人工物」開発に従事するとき、新しい技術のもつ「意味」を「技術中立神話」で覆い隠し、より多機能で高性能なモノをむやみやたらに追求する。1日が他の業界の1年にも相当するコンピュータ業界ですから、それもやむを得ないのですが、「コンピュータ」が「教育現場」に入ってくるとなると、それは許すことができません。やはり、それにはどうしても、「その実践がどういう意味をもっていて、それはどういう言説と結びついているのか?」という問いへの省察がなければならないと思うのです。」(中原淳「NAKAHARA-LAB NET」)
U:使わなくてもいいのではないか?
インターネットを使うのが今様な教師で、とにかく使って生徒に活動させようとすれば環境は整いつつあります。が、インターネットを別に使わなくてもできるんじゃない?と言われると返答に窮する・・・というケースがかなり多いのではないか。大島が言うように、「教室で行われていることが“あるから使う”教育実践、“与えられたから、使わなくてはいけない”といった使命感にもとづいた実践であるとすれば、そこにはこれまでの教育を変革するような力はない」(大島純, 1998)という認識が大事でしょう。やはり大切なことは、インターネットを使わなくてはやりたい教育活動・学習ができない、という活用の必然性が欲しいのです(佐藤学, 1996a;中川一史, 1999)。では、インターネット活用の必然性とは何でしょう。
やはりそれは、時間的物理的空間を越えたところにいる人とコミュニケーションする必要や意義があるような真正な学習・活動と言ってよいのではないでしょうか。
「学校や学級のホームページには「いろいろやってますね」というだけで「だから何なんだ」といいたくなる者が多い。あれこれの情報を集めてきたとか、何となくやってみたというレベルにとどまり、「活動あれど、思考なし」としかいいようのないものが多い。が、この程度の作品を作らせるだけでも、必要な教員の研修、ハードの整備などに巨額な金と時間が費やされている。」(佐伯胖, 1999)
「「こんなすごいことができた。」−−−「だから何なの?べつにそんな高度なテクノロジーを使わなくてもできたのじゃないか。そんなことしなくても、できなくても、人間ちっとも困らないのじゃないか。そんなことができないからと言って別にダメだと言われる筋合いはないんじゃないか。そもそも、一体生徒はそこで何を学んだのか、何がわかったのか、どういうことを納得したのか。」
「テクノロジーというのは、「道具を賢く使う」ことにあるのであって、「賢い道具を使う」ことではない。」 (佐伯胖, 1999)
V.「教育の情報化」政策の理念=教育のパラダイム転換
行政が推進してきた「教育の情報化」の政策・事業の根には、98年〜99年にかけて示された「報告」がいくつかあります。そこには、教育へのコンピュータやインターネットの導入を国としての主要課題として位置づける意図が明記されています。それと同時に、これらに共通して記されている教育理念はつぎのようにまとめられます:
>コンピュータやインターネットという新しい道具を教育現場に導入して、単にそれを活用させることにあるのではなく、これまで偏在した教え込み型の教育のあり方 を転換し、個々の学習者のニーズや自主性を活かし、他の学習者や教員と共同し、教室や学校を越えた人と交流し、実社会や実生活との接点を持つようなインターネットを活用した学習にすること、あるいは、その活用を通じてこれまでの教育のあり方を変えていくこと。
■ 「教育分野におけるインターネットの活用促進に関する懇談会」報告
『子供たちが自由にインターネットを活用できる環境づくりを目指して』 (郵政省, 1998年6月)
郵政大臣と文部大臣主催によるこの懇談会の報告書には、知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、自ら学び自ら考える教育へ転換が必要であり、子どもたちの自主性・主体性に十分配慮したインターネット活用のための促進策が挙げられている。
■ 「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」報告
『情報化の進展に対応した教育環境の実現に向けて』 (文部省, 1998年8月)
情報教育の位置づけを「情報活用の実践力」、「情報の科学的な理解」、「情報社会に参画する態度」の3点にまとめ、これらの関連性やバランスに配慮した系統的・体系的なカリキュラムを編成する必要があるとしている(第1章1)。そして、報告の最後には次のような理念が打ち出されている。
「ここで提案した教育環境が次第に整備され、新しい教育課程の下でコンピュータやネットワークが当たり前のように使われ、多様な学習活動が展開されるようになったとき、そこに新たな学びの場が生み出されるであろう。それは、ネットワークにより様々な学習者と学習資源が結ばれた学習の共同体としての学校の姿でもある。学校は「教員が子供に教える場」から「教員が子供と共に学ぶ場」、「子供と教員、保護者、地域社会の人々、学校にかかわる他の多くの人々が共に学ぶ場」へと変貌し、同時に、子供たちの主体性、創造性を育てる場となるであろうし、また、そうなることを期待したい。」(おわりに)
■ バーチャル・エージェンシー報告
『教育の情報化プロジェクト』 (総理官邸, 1999年12月)
総理大臣直轄の省庁連携タスクフォースとして平成10年12月に発足したバーチャル・エージェンシーは、そのプロジェクトの1つとして「教育の情報化プロジェクト」 を挙げており、そこに示された方向性は上記の報告を総括し、今後の推進方向を決定付けた。そこには、コンピュータやインターネットの活用推進によって教育における「子ども」、「授業」、「学校」のあり方が「変わる」ことが目標として謳われ、そのための具体的施策が示されている。
こうした教育の転換は、第15期中教審の第1次答申(平成8年7月)に示された「生きる力」を育てる学習活動 の系譜であり、その多義的なスローガンの是非は別として、その教育変革の理念は教育課程審議会答申や新学習指導要領に表されました。そして、そのようなパラダイム・シフトが、インターネットの特性と合致したと理解できます 。
1.古くて新しい学習形態の展開
T.問題解決型の授業へ
インターネットを活用した教育の優れたところは、学習者一人ひとりが、自分の必要な情報を世界中から主体的に検索し、入手し、加工し、統合し、さらに世界に向けて自分の情報を発信できることです。そこでは、伝統的な教室での教え込み型、画一的な授業とは異なり、個々人の計画・進度に応じた学習者中心の問題解決型の学習が可能になります。その結果、学習者が得る知識・経験、学習者がつくり出す情報は、授業集団の中では横並びで等質なものではなく、一人ひとり異質なものであっていいという前提に立つことになります。
戦後の民間教育研究運動の対決に、「問題解決学習」対「系統学習」がありました。その軍配は、「権威ある科学者が特有の「教材」で「教え方(ハウツー)」を規定し、権威主義的知識感と手続き的知識感を強化するというかたちで、系統学習の重視が主流になってしまった。」(佐伯胖, 1999) インターネットの導入が、もう一度それらの教育理念を再考するきっかけとなり、「平成教育ルネッサンス」が起こるでしょうか。答えはその使い方次第です。
現場教師は教えるべき内容を順序通り1から10まで効率的に教え、生徒がどれだけ正確に記憶を保持できるか(正解率を上げられるか)を競う。その”出来”がいい先生は「いい先生」で、**方式とか名前を付けられて名誉な地位を占める。そして先生も生徒も満足・・・だが、そのようなスタイルは合わなくなります。いわゆる熱心な「教」師は、現在の情報メディアの利用した教育においてもその路線を繰り返す危険性があるでしょう。熱心さがあだになる危険性があるのです。
また、問題解決型の学習となると、ひとりで行うだけでなくペアやグループでの学習〜これも昔からあった学習形態〜も普通になってきます。みずから学ぶ力を付ける教育から、ともに学ぶ力を付ける教育への転換がインターネットの導入をきっかけに起こるでしょう。教育研究者の間でも、今「コンピュータによる協同学習」こそインターネット教育活用のあり方であるという議論がホットです。
ただ、それはもっともで理想的な話ではあるものの、現場の問題としては、友達と学習以外のことでおしゃべりをしてしまって困るのではないかと多くの教師は心配するでしょう。私もそうなる生徒が少なからずいると経験から確信できます。「ともに学ぶ」学習者となれ合いだけの関係があるとしたら、いっしょにいる楽しみを持つだけに留まってしまいます。個人が全体のプロジェクトの中での役割と責任を果たそうとしなければ、真の協同はあり得ません。
※ むろん教え込み型の一斉授業は学校教育現場からなくなるものではありません。基本的な概念や技法などの説明や練習では、一斉に行った方が効率的かつ効果的な場合が多いと言えるでしょう。
ただし、国際比較調査によると、世界各国において一斉授業は半数近くまで減少し、個人学習やグループ学習を中心とする授業への転換が達成されつつあるのに対して、日本の授業はいまだに一斉授業の形態が8割を占めていたという(佐藤学, 1999)。ただし、広く行われてはいるものの、小学校においては学習者主体の授業を志向する教師が増えてきているという調査もある(Shimahara, 1997)。
U.伝達欲求の満足
学習者一人ひとりが授業の中で異なった情報を持っているということは、従来の画一的授業形態にはなかった重要な側面です。そして、そこにこそインターネットを使った学習が教育を変える意義があると言えるのです。
他の人とは違う、自分だけ(あるいは自分たちペアや班だけ)が持っている情報がある時、我々はそれを持っている自分が楽しく思われ、一種得意な気持ちを持ちます。そして、それを誰かに教えてやりたい、うまくその人に伝達したいという欲求を持ちます。それを知った相手が感心したり誉めてくれたりすると、うれしく思うとともに自尊心を高めるでしょう。さらには、もっと情報量を増やそうとか、もっとうまい伝達方法を工夫しようといった動機付けにつながっていくことが多くあります。それが人間の基本的な情報伝達欲求のあり方なのでしょう。子供の頃、小さな発見をしたときには、息せき切ってそれを周りの人に自慢げに伝えるでしょう ---それが大人にとっては分かり切ったような事実であっても。高校生になっても、大人になっても、そのような伝達欲求にかわりはないはずです。
学習者中心の授業では、学習者のそうした伝達欲求を満たす高い可能性があります。現在そうした授業が一部行われてはいるものの、ほとんどの学校教育は伝統的な教室での画一的な形態でしょう。画一的な学習では、みんなが知っているはからずの教わった情報をどれだけ理解し使えるか、さらに言えば、テストで解けるか、テストまで記憶できるかが学習の意義になり、それができることが自分の自尊心を高めるに過ぎません。つまり、自分の持つ情報を伝達すべき相手は、それをすでに持っている教師であることがほとんどで、情報伝達欲求は満たされようもないわけです。正確に伝達して先生に誉められたり、友人から感心されたり、その結果いい成績をとったり・・・という教育プロセスには、本来の伝達の喜びを感じる機会はありません。
V.自己表現力の上達
インターネットを使った授業形態の素晴らしい点は、自分の必要な情報を集め、ネットでつながった人と情報を交換し、必要に応じて入手した情報を加工し、自分オリジナルの情報群をつくれること。そして、それを自分が伝えたい相手 ---ネットで作り上げた友人や仲間--- に選択的に、地理を越えて即座に伝達できて、さらには情報を受けた人たちからフィードバックを得られることです。そこでの情報伝達は学校の枠を越えている、つまりコミュニケーションの相手は先生やクラスメイトに限定されてはいません。
このような情報伝達過程で、生徒たちは自己表現力 ---各種入学試験では高く評価されながら、実際学校の授業では身につける機会をあまり与えられていない能力--- を培っていくことができるはずです。自分の既存の認知体系の中でもアクティブな部分(自分の興味や関心の高く、こだわりをもっている部分)に情報が統合されていくのですから、情報の記憶保持もよいだろうし、自己表現に深みと広がりが出てきて、いわば「自己表現の拠り所となる認知」を育てていくことができるはずです。そして、自分を表現できることで、ネットを通じた新たな人間関係を地球上で展開できるわけです。
2.授業で活用するための前提条件
インターネットの素晴らしさや有用性を強調する一方、それを学校の授業で利用するにはいくつかの根本的な条件があります。それらを考えずしてインターネットをいたずらに使用しても、教育効果がないばかりでなく、市民の血税でまかなっている回線使用料金などの無駄遣いになりかねません。
☆ 条件1 コンピュータ環境・教師の指導力
コンピュータが利用できる環境があること当たり前ですが、生徒が授業でインターネットに接続可能なコンピュータの存在し、さらに生徒がコンピュータを操作する基本的な技能(タイピングを含めて)を身につけていることがまずは第一の前提条件でしょう。
また、教師のコンピュータ指導力も重要な問題です。英語教師はあくまで英語の学習を手助けするのが仕事で、コンピュータ操作を教えるために時間と精力を注がなくてはいけないとすると、使い慣れていない先生方にはずいぶんつらい教育現場になります。「コンピュータのわかっている人には、わかっている人が何を言っているのかわからない。コンピュータのわかっている人には、”わからない”という人がわからない。」(佐伯胖, 1997)という時代は終わりつつあるのかもしれませんが、それでも授業で活用となるとお手上げになってしまう人は少なからずいます。
私見を述べさせていただけば、コンピュータの基本操作は「教師の常識」と考えていいでしょう。人によりむろん学習の早い遅いはあるでしょうが、遅い人でも3日間研修すればOSとインターネットの基本操作はマスターできると思います。そして、実践的にやっていけばあっという間に生徒に指導できる自信がついていくでしょう。少し辛抱して研修して、自身がインターネットの恩恵にあずかってもらうとともに、生徒たちにその真正な使い方を学ばせてもらいたいと思うのです。
☆条件2 シラバス
どのような形であれ、授業の中にインターネットを活用する時間を計画できるか。これもどのように活用するか以前の大問題です。
コンピュータ施設や学校のカリキュラムには制約が当然あるので、コンピュータ室での英語の授業が主になることは実際にはあり得ません。インターネットを専らとするような科目を開設して、コンピュータ室の年間利用表に毎時間入れてもらえれば話は別ですが、やはりあくまで一般教室での教科書を中心とした授業が主で、インターネットの授業での利用は補足的・総括的なものになります。しかし、一般教室においても学習プリントのような形でネット上の情報を活用できるし、また、ネット上に情報発信するための英文を書くこともできます。教員の創意工夫が試されます。
学習者一人ひとりがネットに接続して本格的に活用するとなると、三宅が言うような「インターネット実践の前提認識」が学校現場には求められることなります。(三宅なほみ, 1997) 私は次の5つをあげたい思います。
1.みんなが同じことを学ばなくてもよい
2.学習内容が片寄ってもよい
3.決められた順序以外で学んでよい
4.先生の機能は「教える」のでなく「手助けする」ことだ
5.評価は到達度だけではない→これら5つについての詳しい議論についてはここをクリックして読んでください
やはり、0−Uでも議論したように、インターネットを使わなきゃいけないから、それに合わせてカリキュラムやシラバスを構成するというのでは本末転倒です。教育内容が必然的にテクノロジーを要求するから、カリキュラムやシラバスにそれを適用するというのが筋です。
☆条件3 やりたいことがある
インターネットを使っての学習では、各個人が自分の興味や関心事について主体的に調べたり、それらを共有する相手を見つけてコミュニケーションしたりすることが可能になるのであるが、果たしてインターネットを使ってまで深めようとする興味や関心、やろうとするエネルギーを生徒あるいは教師が持っているか。
新学習指導要領案の総則の中に、「学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で,自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに,基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」という部分があります。ずいぶん欲張った内容ですが、今回の改訂の中心をなす理念が表現されています。この中で「自ら学び自ら考える力の育成」という課題が、インターネットを使った学習が負った重要なミッションだろうと思います。
が、そこが一番現場教師を悩ませることでしょう。「自分の関心事についてインターネットを活用しながらより深く学んでいく」と言うは易しですが、のどの渇いていない馬を水辺へ連れていくのは永遠に教師を苦しめる教育テーマです。
佐伯はマルチメディア活用の根本は「やりたいことがある」「どうやれば、できるかな」「こうやれば、できるとおもう」「じゃあ、それをはじめよう」という、きわめて単純明快な論理であると言っていますが(佐伯胖「マルチメディアと教育」, 1999)、最初の一歩「やりたいことがある」がないとしたら・・・。そこが教育現場で学習者中心の教育をしようとしたときの一番大きな問題であり、さらに言えば現代社会において主体的人間が少ない元凶かもしれません。
知的関心というのは誰もが持っている基本的認知能力であるというのは確かです。乳幼児の行動を見れば、それは疑いのない事実です。が、高校生の段階で、年齢相応の文化的価値のある知的関心を誰もが持っているかというと・・・ちょっと考えてしまいます。「持たせられないのは教師の教育の仕方が悪い」こともあるでしょうが、そうばかりでもないと現場教員は誰しも経験的に確信しているはずです。
また、安易に「コンピュータは子どもの動機付けに役立つ」と考えるのはたいへん危険です。中原が指摘するように、「その考え方の根本に流れているのは、「学習は苦痛」であるから、それ以外で「なんとか動機づけて」、学習者を「のせちゃおう」という意図が見える」からです。(中原淳「NAKAHARA-LAB NET」)
☆条件4 情報収集の能力
情報収集のための認知能力があることも、根本的な問題で、上記の条件3と密接に関係していることです。どんな形態であれ、情報収集をする時には、今自分が持っている情報を自分自身でわかった上で(自分自身で自分の認知環境をモニターする、いわゆるメタ認知)、どんな情報が欠けているのか、次にどんな情報を入手したらよいのかを的確に知る必要があります。言い換えると、自分自身で自分に次の課題を与えられる認知能力と言っていいでしょう。そして、情報検索をするの段階では、どの情報が有用でどの情報が不用かを的確に判断する力が求められるでしょう。
このような認知能力は、小さい頃から大学までの長いスパンでだんだん身につけていくものだろうと思います。自分自身を振り返ると大学時代に多くのレポートや卒業論文を書く過程で実践的にその力を開発していったように思えますが、それは高校時代までに自分で情報収集を自主的に行ってオリジナルの情報群をまとめるという作業をあまりしなかったせいでしょう。インターネットを活用した学習が実現されることで、高校でもそのような能力を伸ばしていく機会が多くなっていくのは望ましい傾向だろうと確信します。
現代の情報化社会にあっては、情報を送る側も「キャッチー」な演出を心がけて何とかお客を引き込もうとしますが、パッと見はおもしろいが内容がないものの氾濫しているのは確かです。その魔術に引っかかってしまう人は情報選択の判断力が希薄になってしまいます。情報選択の「自分はこれ」という方向性がしっかりある−いわば心のフィルタリング−があればよいのですが、そうでなくて「何となく」まさにブラウズしている場合には、情報発信者の思うつぼにはまります。教育現場においては後者のケースは排除しなくてはいけないのですが。果たして、どうしたらいいのでしょうか?
3.英語教育でインターネットを活用する意義
今一番ホットな話題
学校での英語の学習でも、インターネットはここ数年間で急速に活用されてきているようです。国内の出版物も専門書が発刊されていて、インターネットの活用方法や実践例が詳しく述べられています。また英語教育関係の月刊誌でも特集を組んだり連載をしたりしているのをよく見ます。むろん、ネット上でもそのような情報を多く見つけることができます。
インターネットを取り巻く現在の様子を見ていると、10年前にALTとのティームティーチングが英語教育のホットな話題になっていた時とよく似た状況にあると思います。新しい道具であるインターネットをどうしたら自分の英語の授業に有効に活用できるか、自分を含めて英語教師の多くは成功するノウハウや理論を強く求めています。
私が思うに、ALTの活用と同じで、インターネット導入当初はいろいろ問題があるものの、活用方法が蓄積・共有されていくに従って、より効果的な活用方法を大多数の教師が考えるようになるでしょう。そして、ALTの場合にティームティーチングとJTE一人の普段の授業とのよりよい共存の方向へ向かったように、インターネットの場合も接続活用する授業と普通教室での授業とがうまく共存する方向を模索していくだろうと希望的観測をしています。
インターネットを活用するとは言っても、設備やカリキュラムの制約からコンピュータ室でインターネットに接続しながらの授業は、普通教室での授業に比べてずっと回数が少ないのが現実です。それは、ALTがどの授業にも来るわけではないのと同じことでしょう。ですから、これからも教科書を中心とした普通教室での英語教育がメインであることに変わりがあるわけではありません。しかし、ティームティーチングを行うようになって普段の一人の授業でもクラスルームイングリッシュを使ったりコミュニカティブな言語活動を心がけるようになったのと同様に、インターネットを使うようになって学習者中心または問題解決型の展開を通常授業で考えるというような変化が起こるだろうと思うのです。そうすると、教える側が知っている答えを尋ね答えるという形式的で伝達価値のない教室会話は減っていくでしょう。
英語教育でインターネットは有効か
どの教科・科目においてもインターネットは有効に活用されるべきでしょうが、英語教育においては特にその有用性が高いと言えると思います。では、なぜそう言えるのか、次の6点を挙げたいと思います。
(1)ネット上の使用言語は圧倒的に英語
せせこましい言い方ですが、ネットワークは世界につながっているのだから、国内だけの接続、言い方を変えると日本語だけの利用ではもったいないし、インターネットの醍醐味 ---ほとんどタイムラグなく世界中何処でもネットワークにつながっているコンピュータと送受信ができること--- を味わえません。そこで、海外のホームページにある情報を読むとなると、インターネットで使われる言語の9割位が英語らしいので、学習した英語を実践的に使い、さらにその課程で英語力を高めるいい機会を得ることになります。また、海外に住む人たちとコミュニケーションするとなると、英語を使うのが一般的で、英語による国際的なコミュニケーションの場を通じて英語による表現力を高める指導が可能になります。
むろん、ネット上の英語を理解したり、相手と英語でコミュニケーションできる技能を果たして生徒が身につけているか。それがなくては、いくらネットワークは世界につながっていると言ったところで、何もできないのは確かです。どの位の力があれば十分かという判断は、ネットをどのように使うかによって変わってきますが、やはりある程度基本的な読解力、語彙、作文力は要求されます。
断っておきますが、別に私は英語至上主義者ではありません。今はアメリカが先進国だから英語が主であるが、世界的に普及している現在、9割という数字はどんどん減っていくでしょう(希望的観測ですが)。
英語を使えればインターネットの醍醐味を味わえることは確かですが、その言語を使って、誰かと話をする必要や欲求、あるいは発信する情報があるか?が、やはり先に来る問題です。すなわち、どんな自分を伝え、どのくらい詳しく自分の文化を伝え、どんな情報を伝えることができるのか、がわからないのでは、いくら英語ができても、その媒体を活かして真正な(authentic)活動はでき ません。ですから、「インターネット時代にあっては英語を勉強しなくては」という論理は、「国際化時代にあって海外の人とコミュニケーションすることが将来あるだろうから英語(英会話)をしっかり勉強しよう」という論理と同じで、動機付けのない生徒にとっては何の説得力もないのです。
「インターネットが国際化を達成するわけではない。確かに物理的に”世界”とつながる全く新しいメディアが提供されることは事実だが、問題はそれを使う人間が、どのような態度で”世界”と会話していくかである。」 (古瀬幸広・廣瀬克哉, 1996)
(2)豊富な英語教育用サイト
英語教育に有用なサイトがインターネット先進国であるアメリカ合衆国を中心にして全世界に数多くあり、新しい形の英語教育の可能性に大きく窓を開いています。
(3)国際理解
世界中から情報を得たり、発信したり、やりとりすることで、学習者の国際理解がより深くなり、外国語教育の一つの教育目標を達成できます。
よいコミュニケーションによってコミュニティが成立するわけですが、インターネットが物理的、時間的な壁を取り払うことで、世界的なコミュニティがコンピュータを通じてできます。単なる情報集め・閲覧のためのネットサーフィンや情報検索(コンピュータの向こうに人はいない)はインターネットの一側面でしかなく、国際化という観点から一番教育的価値があることは、生徒がコンピュータの向こうに人がいるのを実感し、その人(たち)と自分とが同じコミュニティを作っているのだと思えることです。人と人とをつなぎ、コミュニケーションを媒介するのがインターネット。ですから、自らも発信しないことにはそれはあり得ないのです。
マイケル・ハウペンという人の造語に「ネティズン」ということばがあるそうです。ネットとシチズンの合成ですが、意味は「新しい情報が、人と人との関係を変え、社会を変えていく。このスタイルに慣れ親しみ、人々との知識の交換によって自己実現を図る人のこと」といいます(古瀬幸広・廣瀬克哉, 1996)。情報教育の大きな目的はグローバルなネティズンを育成することと言っていいでしょう。それができないと、インターネットは一世代前の情報人間、カウチポテト(情報提供産業が送り出す情報をひたすら受け身で消費する人)と全く同じ人種を育成しかねないのです。
(4)コミュニケーションの「本物の相手」
これまでの教室での作文や英会話の授業は、将来使うときのための準備という暗黙の動機付け(あるいは、大学の受験問題に出るという脅迫感)で教えている・・・と言うと大げさかも知れませんが、当たらずとも遠からずでしょう。確かに、最近では「オーラル・コミュニケーション」の授業を中心に、かなり疑似体験に近い会話状況を教室内に作り出すのに成功しているのは事実です。しかしながら、たとえどんなにうまくセットアップされた会話状況でも、相手はクラスメートであり、英語で話さなければいけない必然性はなく、教師が設えた会話状況で生徒が「その気」になって会話するのを教師が強制しているのも紛れもない事実でしょう。つまり、教室では、生徒一人ひとりがそのような英語によるコミュニケーションがしたくて、またはする必要があってしているわけではないのです。
その点、ネット上では自分と興味や関心を共有する相手と、「伝えたい」「伝えてもらいたい」というコミュニケーション本来の欲求を満たす「本当の」コミュニケーションが可能になります。そこで使う英語は、漠然とした将来の仮想相手を対象にしたものではなく、リアルタイムの生活の一部に存在する「本物の相手」を対象にしたものになるのです。
そうした情報のやりとりの過程で、英語による自己表現力を生徒は身につけていけるでしょう。高校の英語の授業で必死に勉強したが、英語で何か表現することができない、表現するものがない。それもそのはずで、伝統的な教室での画一的な授業形態では英語で自己表現するような学習機会がほとんど提供されないのですから。それが、「何年も英語をやったのに全く使いものにならない」という現象、批判の原因でしょう。
しかも、相手が興味や関心を共有する、つまりコミュニケーション内容に関する背景知識を持っている場合には、英語が多少つたなくてもある程度正確な伝達が可能です。表現力や理解力が不十分なところは、既存知識で補いながら、十分に正確なメッセージ理解ができます。そういった意味で、コミュニケーションしやすいという感覚が双方で持てることになって、さらにコミュニケーションが発展することが期待できるでしょう。
「ライティングの授業をネットワークにのせるのは、電子メールの方が郵便よりも速い、一度にたくさん の人に送ることができるという効率にあるのではない。ネットワークにのせることにより、ライティングの授業の意義が変わるのだ。生徒の英作文をネットにのせることにより、生徒一人一人が「本物の相手」に向けて英語で文章を書くことになる。」 (朝尾幸次郎・斉藤典明, 1996)
インターネットを活用した授業では、コミュニケーション手段として実用の英語を使う、お互いが理解可能な一言語として英語を使う、という英語教育の目指す理想のあり方が具現化されていると言えるでしょう。
(5)相手の母国語を問わない
ネット上で英語でコミュニケーションをする場合、相手の英語が母国語である場合と外国語とである場合がありますが、それぞれにメリットがあります。
<母国語の場合> 相手がプロなら、こちらの英語がつたなくてもわかってもらえることが多い。また、相手が間違った表現を使うこともよくあり、「プロだって間違えるんだから」という安心感が得られる。好ましくない表現を使うこともあるが、パーソナルな場面で現実に使われるのを実体験できるのはメリットと考えてよいのではないでしょうか。
<外国語の場合> 相手も自分と同じように英語を外国語として学習しているのだという実感や、相手がくれたメッセージにある文法の間違いなどの発見は、相手に対する親近感と競争心をかき立ててくれます。また、大切なポイントは、相手も英語をなるべく頻繁に使う練習をしたいため、電子メールのやりとりの場合には関係が長続きする傾向があることです。
(6)研究報告
実際に英語の授業でインターネットを活用する学校、先生が増えてきている中で、その英語の学習に与える効果の研究報告も出されるようになってきました。一例として、次の報告は短期大学生の場合ですが、下記のような結果が得られているそうです。(三宅なほみ, 1997)
1.TOEICの成績では有意な変化が見られなかった・・・その原因は、TOEICの問題が一般的であるためだろうと三宅は考察している。
2.穴埋め問題の成績がよくなった・・・穴埋め問題(cloze test)は、安易な問題なようだが、実はその出来具合は学習者のコミュニケーション能力を反映したもであるというのが英語教育の定説になっている。
3.英語を書く力については、内容的なつながりやテーマ性をもつ文章を書けるようになった・・・三宅は学習の態度・動機付けについても言及していて、生徒の間に自分もけっこうがんばれば英語を使えるという実感がわいたようだと報告している。
4.英語教育関連組織・企業の役割
(1)英語教育での活用方法ガイダンス
ALTとのティームティーチングの方法について、研修があったり冊子が配布されたりしました。それと同様に、インターネットを英語教育にどのように効果的に活用できるか、研修を行ったり冊子を発行してノウハウの蓄積と共有を推進すべきでしょう。県教育委員会のホームページの中に教員が情報交換できる掲示板を設置したり、情報共有のメーリングリストを作ったり、定期的にそこからいいものをまとめてホームページの中で紹介するというような仕事をしてもそろそろよさそうです。
(2)使える国産サイトの制作
アメリカを中心として英語で作られた英語教育用のホームページはかなり豊富にあるのですが、日本製のサイトがまだ不足しています。すべて英語で書かれたページは、日本の一般の高校生には難しいことが多いため、様々なレベルの中高生に合った日本製の教育用サイトを充実したい。そのために、ホームページを開発する企業や団体などに行政は経済的なパックアップをしなくてはいけません。
教育用のコンピュータソフトを作っているメーカーはいくつか存在しますが、それらのソフトはビジネスソフトのようには頻繁にバージョンアップしていないし、Windows への対応もだいぶ遅れています。その原因は、ビジネスソフトの会社と違って、ほとんどが小さなメーカーなので、教材がマルチメディア化している現状では開発コストや時間を作り出せない事情があるからです(「Oh! PC」1998年6月1日号)。教育用のホームページ開発は大学が中心的な役割を果たしていますが、教育ソフトのメーカーにも質の高いサイトを作ってもらうべきだと思います。
インターネットが役に立つも立たないも、質のよいサイトの開発にかかっています。日本の教師も生徒も使いやすいサイトが少なければ、自然とインターネットへのニーズも低いままになってしまい、インターネットを活用した英語教育は充実・発展しません。
(3)教育用通信料金
文部省と郵政省はNTTをはじめとする通信業者などに、学校向け特別料金の導入を要請してきて、だいぶ安くなったとは言え、アメリカなどと比較するとまだまだ高い。ビジネスソフトの販売では、教職員や学生向けに割り引き価格を提供していることがよくあります(アカデミックパッケージとかキャンパスキットなどという名前の商品です)。通信業者も学校でのインターネット使用について是非懐の深さを見せてもらいたいものです。アメリカでは電気通信法を改正して、学校が通信回線を安く利用できるようにしています。
(4)教科書(会社)の変化
伝統的な教科書は、教科書に書かれていないことを教師の創意工夫によって授業で取り扱い、生徒に教えるように作られてきました。ですから、必然的に教科書は薄い本になっていました。例えば、英語T・Uの教科書は、本文以外には内容理解を問うワンパターンの質問や問題が少しついているに過ぎないし、文法項目もそれだけを見ても理解できないくらいの記述しかないのが普通です。
もっと多面的に本文に関する問題や質問、本文トピックに関連した資料や読み物が教科書にあって ---別冊の薄っぺらなワークブックは要らない--- 学習者が習熟度や関心度によって、教科書本文の理解を深め発展させていくようになってもよいだろうと考えられるのです。もちろん、教科書に載っている内容すべてを学習者全員が扱う必要はない、選択的に教科書の内容を使っていくという前提に立っています。インターネットを活用した学習のあり方に呼応して、教科書はそのような方向付けをされていくのが自然だと思うし、それが教科書のあるべき姿だとも信じます。
教科書に関連してあと一点。同じ教科書を使っている先生方が全国にたくさんいるのですから、うまくいった授業例やうまくできたプリントを共有すべきで※、それがインターネットによって可能になるということです。先述の通り、教科書は教師一人ひとりの創意工夫によってうまく使ってもらうというずいぶん不親切なものです。その創意工夫こそ教師の腕の見せ所でもあり、やりがいでもあるのですが、問題は、どんなに素晴らしい方法やプリントがあってもそれらを自分だけが使ってお終いになりがちなことです。また、校務に追われて教材研究にあまり時間を割けないときは、ついついありきたりの授業展開をしてしまいがちなことが少なからずあるでしょう。
※そのプリントに著作物のコピーが掲載されている場合、プリントを別の教師が自分の授業で使うことは著作権上は違法になります。
そこで教科書会社に提言です。
教科書会社は自社のホームページに、使っている先生方から投稿をしてもらうようなページを作ってください。教科書ごと章ごとにページが設置され、そこにうまくいった授業展開例やプリントを送ってもらい、他の先生方にも利用してもらうのです。あるいは、教科書ごとメーリングリストを作り、希望者はそれに参加するというのでもいいでしょう。こうすることによって、教科書を採用した先生方にも喜ばれるし、教科書編集者も改訂の資料を得られることになります。
それから、馬鹿高いマニュアル、本文FDを買わせるばっかりはもう終わりにしてください。教師が使えそうな情報(本文、訳、文法語法説明、参考資料、原典など、教材(内容理解テスト、Q&A、文法問題、アクティビティなど)満載のホームページを作ってください。生徒に見られたくなければ、先生方にパスワードを無料配布すればいいだけのことです。
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